• 11号READ特集
    「北の大地を歩く旅」

    北海道の東部・中標津に 「ただ歩く」ために生まれた道があります。 それが「北根室ランチウェイ」です。 今回は3日間かけて、その道を歩いてみました。 歩くスピードに合わせて 少しずつ変わって行く景色や、空気の匂い。 自分の体で、足で、一歩一歩、 進んでいくうちに見えてきたものとは? 北海道の雄大な秋景色とともにお届けします。

  • 北海道・中標津町は釧路湿原・阿寒・知床という3つの国立公園にほど近い自然豊かなエリアです。そこに2011年に生まれたのが「北根室ランチウェイ」です。ランチとは、大牧場という意味。北根室ランチウェイはその名の通り、広大な牧草地や酪農家の庭先もコースとした全長71.4kmの歩くための道なのです。 この道の魅力のひとつは、北海道ならではの雄大な自然をたっぷり楽しめること。牛たちがゆったりと草を食む緑の牧草地や地球が360°見渡せる展望台、そして青く澄み渡った摩周湖。日本に数あるロングトレイル(歩くための長距離道)の中でも、これほど変化に富んだ道は珍しいと言います。 この道を仲間とともに作ったのが、酪農家の佐伯雅視さん。足掛け6年もの時間をかけて完成させたこの道にかける想いを伺いました。
  • (プロフィール)
    佐伯雅視(さえきまさし)/佐伯農場代表・北根室ランチウェイ代表。
    岡山県出身。父が北海道・中標津町で酪農を始めたため、6歳のときに北海道に移住。1975年、26歳で佐伯農場の後継者となる。若いころから教育・文化活動に尽力し、1971年から農場の一角を「むそう村」として解放し、東京の子どもたちのキャンプ体験などを支援(現在は活動休止中)。2001年頃から敷地内に『荒川版画美術館』、『ギャラリー帰農館』『レストラン牧舎』、数々のオブジェなどを設立する。2006年に「中標津に歩く道を作る会」を設立し、代表として7人のメンバーとともに「北根室ランチウェイ(別名:キラウェイ)」を自らの手で切り拓き、2011年に全長71.4kmの道を開通させる。

    佐伯農場 http://saeki-farm.sakura.ne.jp/

    佐伯さんが経営する佐伯農場の敷地内にある宿泊施設「マンサードホール」のキッチン。食材を持ち込み温かい食事を作って食べられる。シャワートイレやシャワールームも完備した心地よい空間。

  • 歩くことは創造すること

    (SHIMICOM、以下S)以下S そもそもなぜ、北海道に歩くためだけの道を作ろうと考えたのでしょうか。
    佐伯さん 30年ほど前から酪農のかたわら、昔使っていたサイロや集乳所の建物を利用した美術館やギャラリーを作ったり、屋外にオブジェを飾ったりと、アーティストを支援してきました。そういった活動をする中で、純粋に芸術に夢中になれる人たちは魅力的だと感じたんです。 歩いて旅をすることにも、芸術と共通するところがあります。どちらも人生や生活にとって不必要なものかもしれません。でも、自分の意志であえてそういったものに触れ、体験することで、人生はぐっと深く、面白くなる。私はずっとそう考えてきました。 それに私自身も若いころから歩くのが好きで、時間があるときには道内のあちこちに歩きに行きます。その楽しさをみんなに知ってもらいたいと考えていた頃、新聞などで「フットパス(Foot Path)※1」という言葉を見かけるようになりました。それを知ったとき、「北海道には素晴らしい自然がある。それを歩いて楽しめる道を作ろう」と思い立ちました。

    ※1 自然や古い町並みなど、ありのままの風景を楽しみながら歩ける小径(こみち)のこと。

  • S どうやって71.4kmもの道を作られたのですか?
    佐伯さん 2005年頃から、イギリス中部のコッツウォルズ地方に歩きに行ったり、資料を読んだりしながら構想を練り始めました。そんな中で気づいたのは、欧米では歩くことがひとつの文化になっているということでした。日本の歩く道といえば、四国の巡礼路や熊野古道など、宗教的な意味合いのものがほとんどです。でも私は「歩くことを純粋に楽しむための道」を目指しました。そこでコースを6つのステージに分け、人それぞれの歩き方で北海道らしいバラエティに富んだ風景を楽しめるように工夫しました。 初めのうちは「こんなに長い道、誰も歩きにこない」と言われたこともあります。そんな声を吹き払ってくれたのが、「東京むそう村(※2)」の子どもたちでした。私は30年以上前から農場の一部をキャンプ場として解放しています。そこで自然の素晴らしさを体験して大人になった人たちが「佐伯さんのやることに間違いはない」と応援してくれたことが大きな力になりました。

    ※2 1971年に新聞で佐伯農場を知った東京の会社社長からの「子どもたちに自然を体験させたい」という依頼を受けて、佐伯さんの父が農場の一角を「東京むそう村」として解放。それ以来、約30年間にわたって毎年夏に全国から子どもたちを受け入れ、キャンプやハイキングなどをしながら共同生活する場となった。

    <キャプション> 左上/佐伯さんが集めた登山や地元・北海道にまつわる本。左下/農場内のパンスタンドで販売される手作りパンが、歩く旅人のお腹を満たす(月火水のみ販売)。右上/佐伯さんの長女が経営するレストラン『牧舎』は近隣の人も集まる人気スポット。右下/宿泊施設に置かれた看板には、ランチウェイの最新情報が手書きされる。 写真 9700(登山や北海道関連の本)、カフェ牧舎9676、9691手書き看板、9663パンスタンドのパン(ハイカーのための無人パンスタンド。月火水のみ販売)

  • これから3日間、北海道を歩く旅の始まり。まず、中標津空港でSTAGE(ステージ)1?6までの地図をもらい、STAGE1の起点・中標津市内にある交通センターに向かいました。最初の道標を確認してからいよいよスタート。中標津空港の脇を通り過ぎ、広葉樹の林を抜けると、どこまでも真っすぐな6.5kmの砂利道が続きます。北海道の広い大地を歩いているのだという実感が湧いてきました。

    左/信号のない一直線の道を歩けるのも、北海道ならでは。右上/ランチウェイの要所要所に、えんじ色の道標が設置されている。右下/ルートマップは空港で配布されているほか、インターネットでも入手できる。

  • 14.7km歩いて、STAGE1のゴール、開陽台展望台に到着しました。ここは、地球が丸く見える絶景スポット。青空の下、格子状の防風林とはるかに広がる牧草地、遠くの山々が見渡せます。東の方角に目をこらすと、海の向こうに北方領土の一部、国後島のシルエットがうっすらと見えました。 STAGE2は開陽台から佐伯農場までの9.9km。展望台からの坂道を下って見つけた道標は林の奥を指しています。その方向に進んでみると、板を渡しただけの一本橋があり、その先に1つ目の「マンパス」を見つけました。これは牛を通さず、人間を通すためのゲート。このマンパスはまたいで乗り越えたましたが、他にもいろいろなタイプがあるようです。そこからは営牧場に隣接する急斜面を上ります。夕方になるにつれて気温が下がってきたけれど、呼吸が弾み、少し汗ばんできました。なんだか冒険しているような気分です。

    上/天気がよければ開陽台展望台からはこんな大パノラマが。中央にかすかに見えるのが国後島。左下/地図には「石の橋」と書かれていたけれど、渡りやすいように板が渡してあった。右下/1つ目のマンパスは余裕でクリア。

  • 夕暮れ時、突然の雨に見舞われながら、佐伯農場に着いて、ほっと一息。敷地内のレストラン「牧舎」では牛乳豆腐のフライをトッピングした濃厚な『カッテージカレー』をいただきました。この日は寝袋を借りて「マンサードホール」に1泊。夜明け頃はかなり冷え込んだけれど、心地よい疲労のおかげで熟睡できました。翌朝は早出するハイカーの気配で目が覚めました。外に出てみると、昨日とはうってかわっていい天気! ご馳走していただいた搾り立ての牛乳は、さらりとした飲み口でほんのりとした甘さ。元気をもらって、STAGE3に出発しました。

    左/雨上がり、水たまりに夕焼けの色が映る。道端の矢印は、雪が降る時期に路肩の位置を知らせるための雪国ならではのサイン。右上/牛すね肉を野菜のブイヨンでじっくり煮込んだカレーは「牧舎」の人気メニュー。右下/朝露を含んだ牧草が朝日を受けてキラキラ輝く。

  • STAGE3は佐伯農場から養老牛(ようろうし)温泉までの8.9km。早朝の爽やかな空気の中、広々とした牧草地の中を歩いていると心がどんどん軽くなってきます。日が昇るにつれて、光や空の色が移り変わり、気温が上がっていく。時の流れや自然の変化を体中で感じながら、先へ、先へ。 牧場内を通り抜ける道では、2つ目のマンパスを見つけました。ランチウェイには、近隣の牧場主のご厚意で敷地内を通らせてもらうポイントがいくつもあります。お腹がいっぱいになったのか興味深げに寄ってくる牛もいたけれど「牛の伝染病を予防するためにも、けっして道から外れないように」という注意を思い出して、遠くからご挨拶。林道の途中には、「熊よけ鈴」がありました。クマザサの向こうに何か潜んでいるような気がして、カラカラと鳴らして通り過ぎました。

    左上/クマザサが生い茂る林道。佐伯さんたちは旅人のために年に数回草刈りをして、道を整備する。右上/静かな林に鈴の音が響くだけでかなり安心できた。左下/2つ目のマンパスは観音開きタイプ。中央のフックを外して開ける。右下/牧場内では牛が優先。お食事中にお邪魔しました。

  • STAGE4は養老牛温泉から西別岳(にしべつだけ)山小屋までの17.4km。中腹に「牛」の文字が描かれたモアン山は、CMなどにもよく登場する人気スポット。今日のゴール、西別山小屋には暖炉用の薪がたくさん準備されていました。「使った薪は補充すること」という注意書きに管理者の日頃のご苦労が感じられます。薪ストーブにあたっているうちに、歩き疲れた体がほっと緩んできました。

    上/山小屋には電気はなく、ろうそくの灯りで過ごす。左下/北海道の花・ハマナスの実。右下/北の大地に咲くシロツメクサは、普段見るものより力強く感じる。

  • いよいよクライマックスのSTAGE5、摩周湖第一展望台へと続く11.3km。ここからは阿寒国立公園内を通るので、ランチウェイの道標はなくなりますが、地図を見ながらしっかりと踏みしめられた道を歩けば大丈夫。小屋を出てすぐ、かなりきつめの「がまん坂」を登りきると、標高799.8mの西別岳の頂上に到着。その後はなだらかな道を下り、白樺の木立を抜けると、ついに青く澄んだ摩周湖が見えてきました!

    上/秋らしい青空と白樺のコントラストに思わず目を奪われる。下/この坂道を上りきれば、摩周湖はもうすぐ。

  • 冴え渡った青空を映して、どこまでも澄んだ摩周湖の絶景にただただ息を飲むばかり。せっかくの旅なのに「霧の摩周湖」だったらどうしよう、と心配だったけれど、こんなに美しい景色が見られたのは、ここまで自分の足で歩いてきたご褒美かもしれません。
  • STAGE6は展望台からJR美留和駅までの6.2km。まもなくランチウェイの景色の見納めなので、名残を惜しみながら登山道を下っていくと無人駅の駅舎が見えてきた。「美留和(びるわ)駅」の看板を見ながら、3日間の旅が終わったことを実感しました。
    上/登山道を下りきったらゴールまであと少し。一歩一歩に力が入る。左下/絵本に出てきそうなかわいらしい駅舎。右下/ゴールを示す道標。中標津でスタートの道標を見たのが遠い昔のことのよう。
  • ランチウェイの楽しみ方

    S 北根室ランチウェイはどんな風に楽しむのがよいでしょうか?
    佐伯さん ランチウェイを歩けるのは、4月末に雪解けしてから、11月に雪が降るまでの間。一番歩きやすいのは9月下旬から10月ですね。この季節は秋風が心地よく、日中は長袖シャツに薄手のジャケット1枚という軽装で歩けます。 この道には、トレッキング初心者やランナー、世界各国の有名なロングトレイルを歩くベテランまで、さまざまな人が訪れます。道で出会った人との交流を楽しんだり、四季折々の変化を感じたりしながら、自分のペースで歩くのは本当にいいものですよ。 海外のロングトレイルでは、歩く人・道を作る人・土地の持ち主がお互いに尊敬し合い、感謝し合って「歩く道」を大切に守っているそうです。この北根室ランチウェイもそんな風に、未来に続く道になったらいいと思っています。
  • 【取材を終えて】
    偶然見たテレビ番組で知った北根室ランチウェイ。果たして本当に歩き通せるだろうか……。心配になり、すぐに歩くトレーニングを始めました。普段、電車で数駅の場所に行くにも、練習だと思ってひたすら歩く毎日。ところが歩くうちに、季節の移り変わり、空模様など、普段は見逃してしまうささやかな変化がどんどん目に飛び込んでくるようになりました。歩くって、面白い!  なんとか20km歩き通せるようになって臨んだ北根室ランチウェイ。突然の大雨に見舞われたかと思えばカラリと晴れ上がったりと、お天気に翻弄され続けた3日間で、歩くこととは、ありのままの自然を受け止めることと知りました。自分の足で一歩一歩進みながら見た空や牛たち、澄み渡った摩周湖の景色、感じた風の匂い。私は一生忘れないでしょう。
    クレジット
    取材協力/北根室ランチウェイ事務局
    取材・文:市原淳子  

    北根室ランチウェイ事務局0153-73-7151 http://www.kiraway.net/