• 5月号READ特集
    「心の扉を開くグラス」

    誰もが日々、かならず一度は手に取るグラス。 オランダ語のKOP(うつわ)という言葉から、 日本ではコップとも呼ばれ、身近な食器として愛されています。 飲み物を涼しげに、おいしそうに演出してくれる透明なグラス。 その1つが、私たちの手元に届くまでには どんなストーリーがあるのでしょう? 1910年創業の老舗ガラス店、 木村硝子店の後継者、木村祐太郎さんに伺いました。

  • (プロフィール)
    木村祐太郎さん/木村硝子店 代表取締役専務 グラスデザイナー・プランナー
    明治43(1910)年に曽祖父が創業し、現在は東京の下町、上野・湯島に店を構える木村硝子店の後継者。独自のアイディアを反映させた業務用ガラス食器を企画・デザインし、数々のヒット商品を生み出している。。

    http://www.kimuraglass.co.jp/

  • ーーきらびやかなクリスタルから身近なソーダガラスまで

    SHIMICOM、以下S ガラスには、どんな種類があるのでしょうか?
    木村さん ガラスは、ケイシャという石の粉に、重金属やミネラルなどを加えて高熱で溶かし、さまざまな形に成形して作ります。 例えば、フランスの有名なグラスメーカーの製品としておなじみのクリスタルガラスは、ガラス素材に鉛を加えることで光の屈折率を上げて、キラキラ輝くきらびやかなグラスに仕上げます。 オーストリアのある老舗メーカーは、カリという物質を加えるカリクリスタルを使用しています。こちらは反射率が非常に高く、表面がピカピカしているのが特徴です。クリスタルはずっしりと重く、弾くとキーンと金属音がしますが、カリクリスタルは軽く、ポーンという鈍い音がするという違いがあります。 他にも、ソーダ灰を加えて作るソーダガラスは比較的安価な食器に。ホウ酸を加えて作るホウケイ酸ガラスは、膨張率が低いため耐熱食器に使われますし、チタンやジルコニウム、亜鉛や金などを混ぜて作るガラスもあります。ひと口にガラスと言っても、素材の組み合わせによって数え切れないほど多くの種類があるのです。

    ※ガラスの製造には鉛やカリ、ソーダ灰などを使用するが、完成したガラス製品の安全性は問題ないとされている。

  • 日本人はコップ好き

    木村さん 創業した当時は、ガラスで作られたものなら何でも。例えば理科の実験に使うビーカーや金魚鉢、もちろんガラスのコップやワイングラスまで、何でも取り扱っていました。現在は主に飲み物用のグラスを扱っています。 グラスは大きく分けて、液体を入れるボディ部分に長い脚のついたワイングラスやカクテルグラスと、水などを飲むためのタンブラー、いわゆるコップの2種類があります。木村硝子店では脚つきのグラスはスロバキアやトルコ、ハンガリーなどにある海外の工場で、コップ類は日本の工場で生産しています。 ヨーロッパではワインを毎日のように飲みますから、ワイングラスへのこだわりが強く、やはりワイングラスを作るのが非常に得意です。一方、日本人はコップ好きです。ですから、日本には大きさも厚さもさまざまなコップがありますし、コップ作りが得意な工場がたくさんあるというわけです。

  • S 日本人はなぜコップが好きなのでしょうか?
    木村さん 例えばフランスのレストランで食事中に飲むものといえばワインかリキュールでしょう。だからワインとリキュール用のグラスがあれば、事足りてしまうんです。ところが日本のほとんどの飲食店にはワインのほかにも焼酎や日本酒、ワイン、ジュースなど、世界中の飲み物が揃っていますから、コップも当然必要なのだと思います。 うちでは3年ほど前からイタリア製の「ウィーン135」というコップを扱っています。ちょっと小ぶりで分厚いソーダガラスでできていて、ごく普通のコップに見えますが、実はこれは1970年代から作られているワイン用のグラスなんです。このグラスをワイン用に使うのはイタリア以外では日本だけですが、これで飲むとワインの味がシンプルに感じられておいしいと、日本のイタリアンレストランや焼き肉屋さんでは大人気。やっぱり日本人がかしこまらずに飲み物を楽しみたいときはコップを使いたくなるのかもしれません。
  • ぽってり厚く、柔らかいフォルムが特徴の「ウィーン135」。

  • 透明なグラスに注がれると、ドリンクがより涼し気に、おいしそうに見える。

  • 繊細なグラスは非日常を味わうために

    S ガラス食器は、どのようにデザインするのですか?
    木村さん 僕の場合は実用性よりも、「自分がお客としてレストランやバーに行ったとき、どんなグラスが出てきたら楽しいだろうか」ということに重点を置いてデザインします。 例えば、4?5年前にデザインしたシャンパングラス「ピーボ オーソドックス62987-240」は、中央部にふくらみをもたせ、下側はギュッと細く絞り込みました。脚の長さは通常のシャンパングラスよりも長く、華奢な作りになっています。「レストランは非日常空間だから、繊細な方がいい」とソムリエにアドバイスをもらってこの長さに決めました。父には「こんなに扱いにくいグラスは飲食店などで採用されない」とさんざん脅かされましたが、無事にヒットしました(笑)。 その後に作ったのが、底から口までがものすごく長い「ピーボ オーソドックス63224-140」(写真左)というシャンパングラス。これは、シャンパンの泡がゆらゆらと立ち上る様を見て楽しむためのグラスです。口径は小さめですが飲みやすく、ごく薄いので口当たりもいいんです。
  • みそ汁のようにワインを味わう

    S グラスによって飲み物の味わい方が変わってくるのですね。
    木村さん そうですね。普段、みそ汁を飲むとき「だしの種類は、味噌の香りは……」と分析して飲む人はいません。ワインを飲むときもそんな風に、難しいことは考えずにシンプルに楽しめたらいいのではと思ってデザインしたのが「ベッロ」シリーズです。 ワインはまず香りを嗅いでから飲むと言われますが、日本人は普通、食物を口に運び、口から鼻に抜ける香りを楽しみます。「ベッロ」は、そんな日本人の食スタイルに合わせて、飲み口をぐっと広げて顔を飲み物に近づけられるようにし、口に流し込むというより吸い上げて口に含むデザインにしました。そうすることでみそ汁を飲むようにワインを味わえるのでは、と考えたのです。 レストランに行ったとき、こんなワイングラスが出てきたら「おや?」と思いますし、一緒に食事をする人やお店の人との会話も弾むでしょう。僕が作りたいのは、そんな風に心の扉をぱっと開いて、料理をよりおいしく、その場の空気をより楽しくしてくれるグラスなんです。
  • 「ベッロ」シリーズ。L(中央)はワイン用に、M(右)は冷茶用に、S(左)は冷酒用にデザインされた。

  • 【取材を終えて】
    朝、グラス1杯の水が喉を滑り落ちてゆくのを感じて、体が目を覚ますという人も多いでしょう。あまりにも身近にありすぎて、普段はとくに気にも留めないグラスですが、木村さんのお話を伺ってあらためて見直してみると持ち心地がよく、口あたりもいい。このグラスのおかげで爽やかな朝を迎えられているのかも、と気づきました。冷たい飲み物が恋しくなるこれからの季節、カフェやレストランでどんなグラスに出会えるか、楽しみになってきました。
    木村硝子店 東京都文京区湯島3-10-7 Tel: 03-3834-1782 http://www.kimuraglass.co.jp/
    クレジット
    取材協力:木村硝子店
    取材・文:市原淳子 
    写真:疋田千里