• SHIMICOM 4月号
    「心静かに自分と向き合う」

    4月は、新生活が始まるシーズン。 新しいことを始めるとき、 背筋がピンと伸びる気がしませんか。 今月の特集は、弓道。 凛々しい立ち姿や的を見つめる鋭いまなざし、 誰もが一度は憧れる弓道の世界へご案内します。

  • 〔プロフィール〕

    小堤(おづつみ) 由美さん/德心館弓道場 指導員
    高校で弓道部に所属。卒業で一旦は弓道から離れたが、子育てが一段落したのを契機に弓道を再開。15年前より德心館弓道場に参加し、現在同指導員を務めている。

    ◎HP 德心館弓道場(東京都杉並区) http://10900.at.webry.info

  • なぜ、人は弓道に憧れるのか。

    武道の中でも厳格なイメージがある弓道。 的に向かってまっすぐ矢を射る姿は、凛々しさを感じさせます。

    SHIMICOM(以下S)弓道を始めた理由は何だったのですか?
    小堤さん 高校生の頃、かっこいいなと思って弓道部に入部しました。その後、結婚をして子育てが落ち着いてきたことで、何か趣味を持ちたいと思い、再び弓道を始めました。
    S なぜ再び弓道を選んだのでしょうか。
    小堤さん 最初は水泳や球技など、これまでに挑戦したことのないスポーツも考えましたが、やはり静かで凛とした空気が心地いい弓道を、またやりたいと思ったんです。でも、大人になってからの弓道は高校の部活でやっていたのと大違いで、「礼に始まり、礼に終わる」という弓道の本当の奥深さに気づき、どんどん惹かれていきました。
    S この道場に参加するきっかけは?
    小堤さん 弓道の教室に通い始めて数年した頃、今の館主と出会い、自分の住んでいる街に新しい弓道場ができるということで、数人の仲間とともにここで練習するようになり、その後に指導員となりました。
    S 長年弓道を続けている理由は何ですか?
    小堤さん ただ「弓道を深めたい」という思いだけです。自分と向き合える趣味はそうはありませんから。よく弓道を道、あるいは人生などにたとえられますが、その通りで、どこまで突き詰めていっても「これでいい」というところがないものだと感じます。
  • 礼に始まり、礼に終わる。

    道場には緊張感がたっぷり。「ご指導よろしくお願いいたします」と、ご挨拶も丁寧に。

    S どのくらい練習をすれば、弓を引けるようになるものですか?
    小堤さん 個人差はありますが、ひと通り覚えるだけでも3年くらいはかかると思います。まずは道着や袴の着方に始まり、「畳の縁を踏まない」「敷居をまたがない」などの礼儀を学ぶことが先です。
    S 弓を扱う以前に学ぶことが多いのですね。
    小堤さん 歩幅や角度、立ち方、座り方、挨拶するときの体の角度など、あれこれ言われてしまうと、頭では言われた通りに行おうと思っていても、体はつい自分のやりやすいように動いてしまうものです。身だしなみや挨拶などの礼儀作法を教わった通りに正しく身につけることが大切です。
    S なぜそこまで礼儀作法にこだわるのでしょう?
    小堤さん 弓道はとても危険な武道です。弦の引き方を間違えれば自分が大きなケガをするかもしれませんし、放った矢によってまわりの人にケガをさせてしまうことも考えられます。だからこそ正しい動きを身につけることが大切。そのためにしきたり、作法を守ることを絶対としているのです。
    S 間違えてはいけないと、硬くなりそうですが?
    小堤さん いいえ。むしろ道具の扱いや正しい作法を行う上で大切なのは、失敗を恐れない心だと思います。ルールは破ってはいけませんが、どんなことも失敗しなければ成長はありません。間違えたら、直せばいいのです。

    動いてもズレにくいようにしっかりと袴を結ぶと、気合いが入ります。

  • 道具としての弓具の美しさ。

    S 基本的な弓具を教えてください。
    小堤さん はい。まず「弓」。これは基準が2メートル21センチで、普段持つことのない長さのものです。次に「矢」。竹やジュラルミン製で鳥の羽がつけられたもの。それに「かけ」※1。中でも「かけ」は重要です。
    S 「かけ」とはどのような道具ですか?
    小堤さん 鹿の革を使った手袋で、手を傷つけないためにはめるものです。諸説ありありますが、「かけがえのない」という言葉の語源になったと言われています。ちなみに、「かけ」は人前では準備をせず、部屋の隅で座って人目に触れないようにしながら身に付けます。
    S なぜ人前で付けてはいけないのでしょうか?
    小堤さん 普段の着替えも人前ではしないですよね?身支度はきちん整えてから人と対面する。これは生活する上でも基本的なことですし、礼を重んじる弓道では尚のことなのです。
    S 弓や矢にもいろいろな種類があるようですね。
    小堤さん 皆さん、最初はうまく弦が引けませんので、それぞれのレベルに合わせて使いやすい道具を選びます。弓の素材や長さもそうですが、弓の強さ弱さ、それに見合う矢など、初心者向けから上級者向けまでさまざまな種類があります。最初は道場にある道具を使っていただき、自分のレベルや体力、筋力に合わせてご自分用の道具を購入していただくのがいいと思います。

    ※1 弽(ゆがけ)とも言う。弦を引くための重要な道具。射手の手に合ったものを使用する。

    フ弓の長さは221センチ(7尺3寸)が基準。射手の身長などにより若干の長短が認められている。

    矢には鳥の羽がつけられている。1組4本。

    鹿革製の手袋「かけ」(中央)と、使用時に汗から守る木綿製の「したがけ」(上)。

  • 弓道で女性ならではの所作といえば襷さばき。道着ではなく、大会などで着用される和服姿のときに、神聖な場所を汚さないため真っ白な襷をかけて弓を引く。

  • 背筋を伸ばして、最初の一歩。 なのに、歩くことすらままならない?

    慣れない袴のせいなのか、右足と左足がうまく運べません。 まさか歩くことがこんなに難しいとは…。

    S さて、初めての弓道体験。最初に教わることは何ですか?
    小堤さん まずは道場での所作です。弓と矢を正しい方向に持って、まずは座ってから一礼。その後、矢を射る正射位置※2まですり足で歩きます。その足の運び方には角度、歩幅など細かい決まりごとがあり、どこまで進んで、足を揃えるのか。立ち、歩き、座り、揖※3を行う一連の所作でさえ座るときはどの足をどのように滑らせるか、片ひざをつくには、体の向きを変えるには…と覚えることだらけです。
    S 一歩を踏み出すたびに、混乱してしまいそうですね。
    小堤さん 教わったことがきちんとできるか、うまくできるかという不安や、弓がちゃんと使えるだろうかという恐怖心など、道場での所作にはそのときの自分の心情がはっきりと表れてしまうものです。
    S そんなところまで見抜かれてしまうのですか。
    小堤さん ええ。そうした心持ちでは体は思うように動かなくなります。この動きが自然にできるようになるまで、初心者の方ですと1ヶ月以上かかることもあるほどです。
    S そんなにも時間がかかるのですか!?
    小堤さん 教わってすぐにすんなりできる方のほうが珍しいです。礼儀作法、所作、正射位置まで的を見ずに歩くこと。言葉にするとたったそれだけ?といった印象かもしれませんが、やってみるととても難しいです。

    ※2 正射位置 的を射る位置。近的の場合、的までは28メートル。

    ※3 揖(ゆう) 行射に入る前と終わりに行う礼。背筋をのばして上体を10センチほど傾斜させた会釈のこと。

  • 至近距離からなのに、的に当たらない?

    練習用の巻藁までわずか2メートル。 それなのに、矢は巻藁を大きく外れてばかり。 気持ちはどんどん焦っていきます。

    S 弓の構え方や射術はどうやって身につけていくのでしょう
    小堤さん まずは巻藁(ルビ:まきわら)という稽古用の的を使って弓矢の扱い方を体に覚えさせます。しかし、この正しい構えを体が覚えるまでがまた大変なんです。
    S 初心者には弓を構えることすら難しいのでは?
    小堤さん 実際にやるのと見ているのとでは全然違います。構えでは、まず足を60度に大きく開き、しっかりと踏ん張ります。そして弓と矢を正しい位置に構え、弓を左手で持ち、矢をつがえ、右手にはめたかけの親指を使って弦をひっぱります。弦を引くときは、顔や耳に当てないように十分に気をつけます。ここでは腹式呼吸が重要。また弦を離したあとは腕を後方へ力強く引くような形になるのですが、この基本姿勢が体にしみついていないと弓はまっすぐに飛びません。
    S お聞きしただけでも難しそうです。
    小堤さん 弓道は体の軸がブレないことが大切なんです。巻藁を使った稽古は的までの距離がとても近いのですが、いくら「中央にある目印を右目でしっかり見て、お腹に力を入れて打つ」と言っても、姿勢が正しくなかったり雑念があったりすると、この距離でさえ当たりません。
    S 雑念とは何でしょうか?
    小堤さん 「当てよう」と思うことです。余計なことは考えず、ただ的と向き合う。それが弓道では大事なんです。
  • ピンと張りつめた空気が漂う道場。的がはるか遠くに感じられる。

  • 飛ばない、当たらない!? 型を真似ているだけではうまくできない弓道。

    やっても、やっても矢が的に届くことはない。当たらない。 ブレる体、焦る気持ち。でも、当てるまでやめられない。 いくらやっても極まることがないからこそ、 その奥深さにどんどん引き込まれていきます。

    S 的までの距離はどのくらいあるのですか?
    小堤さん 28mです。その先にある直径36cmの的に初心者が矢を当てることはまず無理ですよね。
    S 確かに、すぐには当たりそうもありません。
    小堤さん 当然、誰もが「的に当てたい」と思うはずです。でも最初は「当たらなくていい」という気持ちで向き合うのが良いと思います。弓道は、無心で向き合うことが必要です。
    S 的までの壁や天幕には無数の穴が空いていますが、これは?
    小堤さん 誤って矢が当たってしまったときの壁の傷です。ほんの数ミリ体がブレただけでも矢は当たりません。いくら鍛錬しても弓道を極めたと思えることはありません。だから、ひたすらに稽古をする。
    S うまくやろうとすると失敗する。弓道はまるで人生のようですね。
    小堤さん その通りです。「射=人生」と私も学びました。うまくやろうとしなくていいんです。当てようとしなくていい。最初は誰もが初心者です。「できなくて当たり前」なんです。でも、それを分かっていてもできないのが人間です。だから弓道とは、心静かに自分と向き合える時間なのです。

    「直径36センチの的。 その上の天幕には無数の穴が…

  • {編集後記}
    歩けない、座れない、構えられない、的に当たらない——初心者にとっては「ないないづくし」の弓道。しかし、「できなくて当たり前」「失敗してもいい」という言葉が、張り詰めた道場の空気に緊張する私たちの肩の力を緩めてくれた気がしました。この春、新社会人となった皆さんも!最初は失敗していいんです、間違えたって恥ずかしくなんかないんです。大切なのは失敗をしないことよりも、失敗を恐れず挑戦しようと突き進む強い心。「できなければ格好悪い」なんてつまらないプレッシャーに負けないで、自分らしくチャレンジしていくことこそ素晴らしいと、弓道が教えてくれた気がしました。。

    取材協力:德心館弓道場(東京都杉並区) http://10900.at.webry.info
    文:久武むく
    撮影:中根佑子
    モデル:芦田彩子(三木プロダクション)